秋田万歳の万歳師 斎藤ぽん

 

 

秋田県秋田市の秋田万歳、最後の伝承者と呼ばれていた加賀久之助氏と吉田辰巳氏の秋田万歳が収録されたレコードに2017年出会う。

加賀氏、吉田氏の秋田万歳に対する真摯な姿勢、それゆえの素晴らしさ、レベルの高さ、品格、所作や声、訛り、佇まい。

何もかもがカッコよく、心が震え魅了されました。

 

秋田万歳は予祝の祝福芸として門付先(訪問先)の家を讃え、人々の長寿、繁栄、ご多幸を祈念し叶えんとすることを念願とし、

その念願を実現するため難解な儀式万歳全十二段の全てをきっちり覚えました。

そして、人々をもっと楽しませるため、もっと喜んでもらうために滑稽な噺や舞、民謡なども取り入れてきました。

秋田万歳の万歳師としてプライドを持ち、芸に磨きをかけることに勤しんでいた方々が自分が生まれ育った秋田県秋田市にかつて、居た。

そのことを知った私は、自分もかつての万歳師のように人々の長寿と繁栄とたくさんの幸せが訪れることを願い、

叶えるため、秋田万歳をやりたいと日に日に思うようになっていきました。

しかし、心から尊敬する加賀氏と吉田氏のように自分ができるのか?やりきれるのか?と、

高く高くそびえる山ようなお二人の存在と歴史と今の現状を前にずいぶん長い期間悩みました。

しかし、加賀、吉田両氏の万歳を自分がやらなくては他に誰もやる人がいない。

このままではかつての秋田万歳の存在が忘れられ、埋もれていってしまう。

それではあまりにも悲しい。

やるからには生半可なことはできないし、したくない。

きちんと加賀、吉田両氏の思いを引き継いで秋田万歳をやりたい。

それが私にとって秋田万歳を大事してきた先人たちへの敬意であるし、

万歳師の念願を叶えることにも直結していると思ったからです。

 

2020年1月、秋田万歳の万歳師として加賀久之助氏、吉田辰巳氏を心の師匠として修行を始める。

2020年11月、加賀、吉田両氏の儀式万歳全十二段の音源を繰り返し聴いて覚え、何も見ずに唱えられるようになる。

2021年11月頃、東京都内を鼓持参で歩き、団子屋、カフェ、秋田のお店などで門付のようなことをする。

(時期早々、私服姿なのでこれは本来の姿ではなく、改めて正月~春頃正装で門付にきますとお断りして)

2021年11月末、長野県松本のおっとぼけ美術館 相澤さん、飯田屋飴店、諏訪のすみれ洋裁店、茅野のアノニム・ギャラリーにて万歳する。

2021年12月、コロナが感染者が激減したこの時期に秋田へ。長い間叶わなかった加賀氏、吉田氏のお墓参りをする。

この時、お二人の墓前で儀式万歳三段を唱える。

2022年1月1日元旦、東京都中野区大和町八幡神社にて秋田万歳の実演。儀式万歳九段、くづし、こっから舞、噺を行う。

2022年1月上旬、PCR検査を二回受け共に陰性。細心の注意を払いつつ秋田へ。雪深い県内を歩き、万歳の門付をする。

 

 

 

 

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【秋田万歳とは】

 

正月~春にかけて家々を門付し、門付先の家を讃え、人々の長寿、繁栄、ご多幸を祈念し叶えんとする予祝の祝福芸。

通年では歳祝い、結婚式などおめでたいお祝いの時などに招かれ、万歳をする。

舟形烏帽子に鶴亀松を染め抜いた直垂を着た太夫と大黒頭巾に小鼓を持った才蔵の二人一組を基本とするが、太夫・才蔵を一人二役で行う一人万歳もある。

元禄期(1688年~1703年)に出来たものと考えられ、300年ほどの歴史がある。

秋田万歳は儀式万歳の表六段、裏六段の全十二段と噺万歳(滑稽な噺の中にコッカラ舞や民謡、俗謡なども入る)で構成される。

門付をするとお礼にご祝儀や米をもらい、万歳が好きな家、裕福な家、旦那場で所望があった座敷万歳では万歳一段につき米一俵出す家もあったそうです。

 

1811年、菅江真澄著「布伝能麻邇万」に秋田万歳の記述あり。

1815年、羽州秋田風俗問状答に秋田万歳の記述あり。

1890年、万歳師組合を作り、鼓舞営業者約定書を定める。

明治時代には秋田市に25組50人ほどの万歳師がいた。

1905年、万歳師たちが東京で興行。

1915年、秋田市柳町 娯楽館で公開興行。

1943年、慰問のため満州、北支へ。万歳師は太夫 吉田辰巳氏・才蔵 加賀久之助氏。

戦後~高度経済成長期を境に万歳師が激減する。

1969年、佐藤久治「秋田萬歳」刊行。

1970年代頃になると秋田万歳を演じられるのは秋田市では代々万歳師の家柄であった吉田辰巳氏(1905年生)、加賀久之助氏(1910生)の1組だけとなった。

1971年、ビクターから小沢昭一氏の日本の放浪芸が発売される。収録は横手万歳(太夫 松井幸蔵氏、才蔵 最上盛次郎氏)。

1973年、雑誌太陽「秋田万歳に惚れた私」小沢昭一の記事が特集される。この頃から加賀、吉田両氏が秋田万歳保存会と名乗りはじめる。

1974年、秋田万歳(太夫 吉田辰巳氏・才蔵 加賀久之助氏)が秋田県指定無形民俗文化財となる。同年、秋田県教育委員会に於いて、吉田氏、加賀氏の秋田万歳全十二段と噺万歳が録音、記録され、LPレコード3枚が制作される。

1981年11月22日、吉田辰巳氏・加賀久之助氏コンビの解散公演を秋田市八橋老人いこいの家で行う。(吉田氏の体調不良による解散。コンビ歴は47年だった)

解散から数ヶ月後、万歳を絶やすまいと加賀久之助氏による一人二役の一人万歳が始まる。

1993年、加賀久之助氏、死去。享年82歳。

 

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1982年、北條貞次郎氏、万歳をはじめる。

2003年、秋田市主催 秋田万歳入門講座を開設。参加者は定年退職した者を中心だったとのこと。

入門講座を受けた参加者が秋田万歳クラブを立ち上げる。

2012年、秋田万歳クラブが秋田万歳継承会と名前を変える。

2013年、北條貞次郎氏引退。2019年没。

 

注 : 秋田万歳継承会について(元、現会長、会員から聞いたこと)

・入門講座を受けた参加者が立ち上げた独自の新しい団体である。

・秋田万歳保存会とは全く別物の団体であり、一緒にはされたくないとのこと。

・儀式万歳全十二段のうち一つ、御国万歳の半分さえ覚えていれば舞台に出ても良いという方針。

・北條貞次郎氏を師匠としている団体。そのため加賀、吉田両氏の万歳とは全く違うとのこと。

 

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儀式万歳 全十二段 (愛知県知多市の尾張万歳に影響を受ける他、江戸万歳、秋田独自の万歳で構成されている)

1、家建/住宅、建造物の新築を祝う

2、経文揃/大般若六百巻の日本渡来を祝う

3、神力/名古屋の熱田神宮を祝う

4、大峰/山伏修験の吉野大峰山への入峰の状況を祝う

5、御国/秋田の城下町久保田の繁盛を祝う

6、双六/東海道五十三次、京都から江戸への東下り

7、扇/ご祝儀につきものの扇子祝い

8、御江戸/江戸の繁盛を祝う

9、本願寺/真宗の本山本願寺の繁栄を祝う

10、吉原/江戸の色町 吉原全盛を祝う

11、桜/桜尽くしで春の初めを祝う

12、御門開/御城の御門開や家々の門で祝う

 

 

噺万歳

神田の吉、車引き、男鹿の島めぐり、風呂屋、そば屋、津軽のピン助と美代子、米屋と青物屋など。

 

噺のほかに、くづし(くずし)を儀式万歳(家建、経文揃、御門開)の後に導入するパターンもある。

さんごくづし、田作くづし、山くづし、えびくづし。

 

儀式万歳の詞章はお経であり、祝詞である。唱える詞章が難解なため、聴衆はお祝いのムードを鑑賞するという感じになる。

儀式万歳は変えてはならない不変の部分で、噺万歳は時代によって万歳師が創意工夫し変化する部分。

 

 

吉田辰巳氏、加賀久之助氏の話によると、秋田市の秋田万歳は新規で勝手に万歳を始めることは出来ず、

厳しい資格試験があり、合格しないと門付することも座敷万歳をすることも許されなかった。

その厳しい掟が万歳師達の質と技術が維持される大きな要因となっていた。

 

この資格試験は、12月23日に行われていた。

万歳組合の組合員(古参の万歳師)が集まったところで、

儀式万歳十二段の名前が書かれたくじを三回引き、出たくじ三段分を実演するというものであった。

儀式万歳全十二段全て覚えるだけではなく、詞章の正しさ、節の伸び縮みなど厳しく審査され、ヤジが飛んだりもした。

 

正月の門付は万歳師ごとに担当する地域が会合により決められていた。その地域のことを場割(カスミ)と呼ぶ。

1月15日までを1番カスミ、1月16日から末までを2番カスミと呼んだ。

試験に合格して正式に認められた万歳師以外がその場割を荒らすことがあり、カスミ荒らしと呼ばれた。

カスミ荒らしをする者は儀式万歳十二段を覚えずに、門先で適当におめでたい言葉を口ずさみ、銭や米をもらっていた。

そのため万歳は乞食、物乞いと卑下されてしまうこともあったようです。

 

参考資料

秋田萬歳/佐藤久治/秋田真宗研究会/昭和45年

太陽/平凡社/昭和48年

民俗芸能54号/民俗芸能学会/昭和49年

秋田県無形民俗文化財 秋田万歳/秋田市教育委員会/昭和53年

出羽路75号/秋田県文化財保護協会/昭和57年

復刻日本民謡大観 東北篇/日本放送協会/平成4年

放浪芸雑録/小沢昭一/白水社/平成8年

日本の放浪芸/小沢昭一/ビクター

秋田の番楽 神楽 ささらなど/秋田県教育委員会/昭和49年

萬歳をたずねて/東芝EMI

日本の民俗音楽 第9巻「語りもの」「舞楽・延年」/監修・解説 本田安次/ビクター

新聞各記事/秋田魁新報

 

加賀家・吉田家の皆さまをはじめ、

当時、加賀久之助氏と吉田辰巳氏の秋田万歳を生で見て、秋田県内の万歳師を訪ね、秋田万歳の特集番組も制作していた元ABSアナウンサー、現 秋田・市民のメディア研究会 代表 依本悟さま、あきた芸術村 民族芸術研究所 所長 小田島さま、秋田県内外の多くの方々からお力添えとご教授をいただきました。

心から感謝申し上げます。

 

まだまだ未熟者ではありますが、予祝の祝福芸 秋田万歳の万歳師として、家を讃え、人々の長寿、繁栄、ご多幸を祈念し叶えんとすること、

その念願を果たすため一心に万歳に向き合い、日々精進していきます。

 

今後ともみなさまのご指導、ご鞭撻、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

 


メディア掲載情報

 

秋田の新聞 秋田魁新報 2022年3月6日(日)朝刊

【首都圏発】「人々の幸せを願う芸」 秋田万歳研究、都内で実演

https://www.sakigake.jp/news/article/20220306AK0010/


【ご協力のお願い】

 

秋田県の万歳は秋田市の秋田万歳をはじめ、大曲、横手、羽後長野、仙北、亀田など各地で万歳が盛んだったようです。

私は秋田県内の万歳を記録、保存して50年後、100年後の後世へ伝えていきたいです。

そのため、情報、資料、道具、衣装などを収集しています。

小さい時に秋田万歳が家に来ていた、家に上がって座敷で万歳してもらった、家が万歳師の宿(旦那場)だった、

昔、家族・親戚が万歳やっていた、など思い出やお話をぜひ教えて欲しいです。

 

家族・親戚が昔、万歳をやっていて万歳の資料、道具、衣装などをお持ちの方、

もしよろしければ寄贈のご協力お願いします。

 

また、万歳に来て欲しいというご要望も承っております。

お気軽にメールにてご連絡ください。

 

秋田万歳

斎藤ぽん

mail : contact@nyantoko.com

 

2022年1月1日元旦 東京都中野区大和町八幡神社にて